Archive for the 'アート&写真' Category

草間彌生 〜狂乱のインフィニティ・ドッツ〜

草間彌生の作品を見てポップな印象を受ける人は多いだろう。そこに描かれた無数のドットが人々にポップを喚起させるのだろうか?

ドット(水玉)は彼女の生涯のモチーフといえる。
彫刻やインスタレーションで用いられるドットは無限と自己の消失を繰り返し奇妙な空間を形成する。キャンヴァスに描かれるドットは、まるで個々に生命が籠もったように流動的で儚い。

草間氏は28歳で単身ニューヨークへ渡った。1950年代に日本の若者が渡米するということがどれだけ困難を極めたか。今では申請さえすればあっさりとパスポートが手に入る。しかし当時は渡航許可を取るのも一大事だ。彼女は大臣に宛て手紙を書き、母を8年かけて説得した。
当時は通貨の持ち出しも制限されていたために、衣服に札束を縫いつけ、描きためた絵画と売って換金するために数百点の着物を持参し渡米した。

”その頃の百万円といえば家がいくつか建つくらいの額だった。そのお金をドレスに縫いこんだり靴の先につめこんだりして、見つからないようにしてアメリカに渡ったのだ。”(著書『無限の網』より)

自伝的著書『無限の網』には当時の記録がある。中でもニューヨークで始まったばかりの生活のくだりは衝撃的だった。

極度の貧困状態で栄養失調に陥り、作品に没頭するあまり精神を病む。憑かれたようにドットを描き続け、描き続けるうちにドットはキャンヴァスをはみ出し、壁や天井、自分自身にまで増殖していった。彼女は狂乱の中にいて、毎日ひたすら水玉を描き続けた。

”水玉の天文学的な集積が繋ぐ白い虚無の網によって、自らも他者も、宇宙のすべてをオブリタレイト(消去)するというマニフェストを、この時、私はしたのである。”

彼女の情熱は周囲に飛び火し、次第にギャラリーに認められていく。街頭でのハプニングは当時のニューヨークでしか為し得ない前衛的なパフォーマンスであったが、その過激さで賛否両論を巻き起こす。

”社会的にはルール違反のすべてをかけて刑務所に入れられたり、裁判にかけられたり、FBIに追いかけられたりしながら、ニューヨークの人間ドラマを私は生きていた。”

これが日本国での出来事であったなら、作品の発表すら阻止されていただろう。草間氏の作品はアート最先端のニューヨークにあっても超前衛だった。

草間氏の描くドットの個は、この世のミニマムである。そして無数に描かれたドットの集積に我々はマキシマムを見る。目前に繰り広げられるドットは無限に増殖していくかに思われる。
草間氏は近年ますます活動的である。彼女にとって制作は自己治癒の手段であり、生き延びる術である。そうして吐き出された芸術の、なんとすさまじく美しいことか。

”時よ、待ってくれ。私はもっとよい仕事がしたいのだ。もっと表現したいことが、絵や彫刻の中にいっぱいあるのだ。”


本日の1曲
Beautiful / Smashing Pumpkins


森山大道 〜野良犬の目線〜

それまでに知っていたモノクロ写真といえば、淡い色彩の平和的な写真でしかなかった。浪人時代に初めて森山大道の写真を見た衝撃は忘れられない。
その頃ヒステリックグラマーから写真集が発売され、若者を中心にその注目度は増し、森山大道の写真の衝撃は現代にも広められることとなった。そして自分もその写真に心酔した。

その表現手法は「アレ・ブレ・ボケ」と称される。粒子は荒れていて、対象はぶれ、ピントはぼけている。真っ黒に焼かれたハイコントラストの風景はグラフィカルですらある。彼独特の這うような目線で街の表層は露わになり、ざらついた質感で都市風景はまるで荒野のようである。

森山氏は1938年に大阪で生まれた。高校中退後、グラフィックデザイナーとして独立。大阪のデザイン事務所に数年間勤務し、その後写真家を志し上京。写真家細江英公のアシスタントとなる。当時は家も無く、「ボストンバックの手提げの輪に片足を通して膝の上まで引っぱり上げ」新宿の安宿で夜を明かしていたという。

当時右翼系雑誌記者であった中平卓馬と意気投合し、写真の世界にシフトした中平氏らと同人誌『PROVOKE』を創刊。作品は非常にアヴァンギャルドかつファッショナブル、もっと言うとその登場はセンセーショナルでスキャンダラスだった。メンバーに誘われなかった荒木経惟が嫉妬したというエピソードがあるくらいだ。日本の写真史において伝説的に語られる『PROVOKE』だが約1年後に休刊。自主ギャラリーCAMPを設立し写真家としての本格的スタートを切る。

若い頃「ツイードのジャケットの内ポケットに三百万円の現金を入れて」パリを訪れたり、暗室で破天荒なバケツ現像をしたりと森山氏のハードボイルドさにはやはり憧れてしまう。ポップアートにも感銘を受け、その作品展開や展示方法にもポップアートの手法が取り入れられている。自分にとっては何もかもが目新しく、氏の生き様に憧れた。

森山氏は野良犬のごとく街をうろつきシャッターを切り続ける。代表作が多数生まれた「激動の六十年代」を知らない自分にそのエネルギーはたたみ掛けるように迫ってくる。古い看板や雑然とすら街並みは時代を感じさせるモチーフであるし、学生闘争の最中の新宿東口の光景などにただならぬ熱気を感じたものだ。
彼が切り取る都市風景には肌の質感や、情事や、荒々しいバイクのエンジンや、掃き溜めの殺伐がごったまぜになっている。ポルノ映画の看板とプリントシャツを羽織るヒッピーが街に溢れていた時代だ。それらはモノクロの写真であるがヴィヴィットな色彩を感じることができる。

ならば彼の写真は60年代の空気があってこそのものなのだろうか?彼はその時代の写真家でしかないのだろうか?
一瞬沸いたその疑問も近年の作品を見てすぐに消えていった。彼の写真からは依然として強烈な街のエネルギーと混沌を感じたのであった。森山の写真には常に荒涼とした時代の風景が映る。彼の前に一瞬凝縮したような空気は重く、色気すら湛えている。

昨年の『森山・新宿・荒木』展の会場で両氏の撮影風景を追ったドキュメンタリーが放映されていた。周りの人間を取り込みながら、賑やかに街を練り歩く荒木氏とは対照的に、寡黙にシャッターを切り続ける森山氏の姿は印象的だった。彼はいかがわしさに向かって歩き続けていた。
驚くべくことに街の撮影行為において彼はファインダーを覗かない。コンパクトカメラの長いストラップを手首に巻き付け、まるで身体の一部であるかのようだ。そのスタイルは一見して写真を撮っているとは思えないスタイルだ。数万回のシャッター寿命を超え彼は何台もカメラを「使い切って」しまう。路地裏を彷徨う野良犬のごとく、街をうろつきながら写真を撮る。

新鋭写真家としてその名を轟かせる前、逗子に暮らしていた森山氏は近所に住んでいた中平氏と連れ立って海へ泳ぎに出かけていた。泳ぎ疲れるとビニール袋に入れて持ってきた数冊の写真集を前に日々写真談義を展開した。そして片っ端から他人の作品を罵倒した。曰く「言葉の血祭り」に上げたのだ。彼等は今まさにオノレの若い感性と独論を写真界に叩き付けようとしていた。そして共著で『写真よさようなら』という作品を発表した。これまでの写真と決別し、新たな世界を提示した問題作だ。

そして来月ついにその『写真よさようなら』が復刊される。今も尚写真界の異端児であり続ける森山の、若さの葛藤を目撃したいと思う。


本日の1曲
自問自答(From Matsuri Session Live At Yaon)/ ZAZEN BOYS



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【 森山大道に関するおすすめ書籍 】

森山・新宿・荒木
■ 森山・新宿・荒木
昨年オペラシティー・アートギャラリーで
展覧会も開催された森山大道・荒木経惟共
作写真集。
新宿をこよなく愛し、主に酒場を渡り歩く
二人ならではの企画。新宿の「ごった煮」
感はこの街の魅力です。この二人に撮って
もらえるなんて新宿も幸せもの。


犬の記憶終章
■ 犬の記憶終章
文章にも才を発揮する森山氏の『アサヒグ
ラフ』誌の連載をまとめたエッセイ集。
パリ、新宿、逗子、など各地に関する森山
氏の回顧録。どれも短編小説のような読み
応えで森山氏のファンはもちろん、今はそ
うでない人もきっと面白い。
文庫版もあります。


ANDY WARHOL

イタリアに旅行に行く知り合いのお姉さんに「おすすめの美術館を教えて」と言われ、わかんないなーと答えると彼女は不思議そうな顔をした。それはおそらく自分が美術大学出身だからである。

美大生は常に絵の具にまみれているわけではないし、必ずしも絵画に詳しいわけではない。
高校の美術の授業で、名画の解説ビデオを見た後に皆の前で感想を述べなければならなかった。その際「たとえ名画と呼ばれる作品を鑑賞しても、その何億という作品価格にしか興味を持てない」と発言した。何も言わずに頷いていた美術教諭氏。彼は油絵画家である。
実はその頃、途方もない時間をかけて描かれた名画の大作よりも、ポップアートに魅了されていた。特にアンディ・ウォーホルの作品に。

難解で、おそらく今読んでも意味の分からない現代美術の本を読み、作品集をめくった。東京都現代美術館で回顧展が開催された時は、ひとり新幹線で上京した。作品前のソファに腰かけ、巨大なマリリンの連作を眺めながらニューヨークに漂う空気を想像した。

彼の作品の手法はこれまで見知っていた絵画とは大きく違っていた。彼は”FACTORY”と呼ばれたアトリエでシルクスクリーンを刷り、作品を”生産”した。

マリリン・モンローやキャンベルスープの作品は誰もが目にしたことがあるのではないだろうか?それはアメリカのスーパーマーケットに陳列されているごくありふれた品物であり、誰もが知っている有名人であった。しかし彼の場合、他のアーティストとは違い、大量消費社会やマスメディアに対するアンチテーゼを提唱しているのではなかった。

アンディはそれらを心から愛していた。
そのアメリカ的な文化を。
”東京で一番美しいのはマクドナルド
ストックホルムで一番美しいものはマクドナルド
フィレンツェで一番美しいものはマクドナルド
北京とモスクワにはまだ美しいものがない”

そのセンセーショナルな登場で一躍有名になり、彼はアート界のポップスターになった。
ミュージシャンやファッションデザイナー、売れない俳優からホームレス、ゲイフレンドまであらゆる種類の人々が彼を取り巻いた。アンディは彼等を”スーパースター”と呼び、自分の映画に出演させたり作品のモデルにした。

『誰でも15分間だけは有名になれる』という彼の言葉は有名で、オリジナルの哲学を感じる好きな言葉だ。そして今や、アンディ自身が80年代のアメリカの象徴的なアイコンになった。(彼はやはりそれを望んだだろうか?)

ポップアートとオルタナティブロックとの出会いは衝撃的で(こんなものがあったのか!)と田舎の高校生は自室でひっくりかえった。
それまでとまったく違った価値観を見せつけられると往々にして虜になってしまうものだ。
しかし残念なことに、そこまでのサプライズにはなかなか出会えない。


本日の1曲
I’m Waiting For The Man / The Velvet Underground




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○ANDY WARHOLに関するおすすめ書籍○

ぼくの哲学
ぼくの哲学
アンディ ウォーホル, Andy Warhol,

「その日コマーシャルで見たものを全部買いに行く」
暇つぶし方法や「高級レストランで嫌いなものだけを
注文し、帰りにごっそり通りに置いてくる」というダ
イエット方法も紹介。(彼曰く、ホームレスの食料に
もなるし一石二鳥らしい)。
役に立つかは気分次第。アンディ流哲学。


ウォーホル日記
ウォーホル日記
パット ハケット, Pat Hackett,

毎朝電話をかけてくる「日記係」との会話を記事にお
こしたもの。夜な夜なパーティーを渡り歩く華やかな
場面も魅力的だか、その合間にこぼす自意識過剰な独
り言がアンディらしい。