Archive for the 'アート&写真' Category

買い物日誌017 よろしく、GR。


RICOH GR DIGITAL III
¥71,820
購入場所 マップカメラ1号店


デジタル製品は発売から時間が経つほど価格が下降する。製品の最安値を示すグラフは株価よろしく、今日も小刻みに変動を続けている。

もう少し安くなってから、と思っているとどこからか新製品発表の噂が聞こえてきたりして、慎重になればなるほど手を出しにくくなってしまう。それに、購入を我慢している間に「撮れたはずの写真」を撮り逃がしているのだ。きっと。

たとえ躊躇する価格だったとしても、フィルム時代に写真にかけていた費用を考えれば安いものだ! と思うことにした。(実際にそうなのだけど)

実は数ヶ月前に、愛機D90をコンクリートの地面に落として背面液晶を割ってしまった。購入後一定期間付与されるメーカー保証は、使用上の過失によるトラブルは対象外となる。購入して間もなく訪れた悲劇を教訓に、落下や水没も補償してくれる店舗での購入を決めた。マップカメラなら購入金額の5パーセントの掛金で破損にも対応した3年間の補償がつく。

今夜はひとり新宿に出掛け、至極あっさりとGR DIGITAL IIIを購入した。すぐに撮影できる状態にセットして街に出れば、手に馴染むGRの質感に自然に顔がほころんでしまう。歩きながら無意識に『よろしくナー。』と言っていたくらいだ。

フィルム時代にはNikon F3HPとGR1vをセットで持ち歩き、画角の違う二台を使い分けていた。重くて大きな一眼レフと違って、GRはポケットに入る手軽さが良い。そんな最強の布陣が、今夜ようやくデジタル版に移行した。これからはNikon D90とGRIIIでいこう。

GRデジタルシリーズはずっと欲しいと思っていたものの、高額なため購入をためらっていた。しかし、先日の愛猫ハク氏との悲しい別れが、写真を撮る行為の尊さをあらためて感じさせてくれたのだった。この部屋には沢山のハク氏の写真があり、そこには我々が過ごした日常生活の “さま” が写っている。気付けば、写真日記[デイ・バイ・デイ]も、開設から一年が過ぎていた。

これからも日、一日を文と写真で記録していきたい。その想いにGRが力を貸してくれると思ったのだ。


本日の1曲
That’s What You Get / Paramore
VIDEO(Official Site)

デイ・バイ・デイ文庫


Photobackというサービスを利用して『デイ・バイ・デイ』を文庫本にしてみた。

このサービスを知ったその日のうちにユーザ登録して編集を開始した。以前からブログを製本してみたい気持ちはあり、いくつかの製本サービスを試したことがある。でも編集しているうちに(なんか違うな)と思ってなかなか注文にまで至らない。

Photobackは、シンプルで内容を邪魔しないデザインであるところが良かった。
専用ソフトをダウンロードすることもなく、オンラインで編集出来るからデスクトップに編集データが溢れ返ることもない。ブログを更新するような感覚で編集できるし、編集が終わったら管理画面からそのまま注文できる。(トンボをつけた画像データを手にキンコーズに駆け込む必要もないのだ)

ラインナップに馴染みのある文庫本サイズがあったことも気にいった理由のひとつ。写真枠の有無や使用するフォントも選べて、ブログの雰囲気に合わせてカスタマイズできるのが楽しい。

『デイ・バイ・デイ』開設から4月末までの約300エントリーの中から記事を選ぶ。72ページのほとんどを同じレイアウトにし、数枚の写真を見開きで配置することにした。


画像のリンク先でページを拡大して見ることができます

プレビュー画面も出来上がりをイメージしやすいので、楽しみながら編集作業が進む。(製本しなくてもサービスが成り立つんじゃないかと思わせるくらいだ)
一週間ほど試行錯誤したあと、まずは一冊注文してみた。

さあ、注文してからは到着が楽しみで仕方ない。注文後一週間後に発送完了のメールが来て、先週の日曜にメール便でポストに届いた。部屋着にサンダルで階段を駆け上がり、さっそく開封すると帯まで付いた文庫本が現れた。

印刷物への憧れは幼い頃からあった。小学生の日記でもワープロで打ち直すとなんだか立派な散文に見えたし、美しい書体が手に入るのが嬉しくて中学生の頃は美術教材のレタリング辞典をトレースして遊んでいたものだ。

出来上がった文庫本のページをめくりながら、「本の体裁をしていること」や「印刷された活字への憧れ」は今も変わっていないのだなと実感する。これからは一定の期間が経ったら本にまとめるのもいいかもしれない。新しいブログの楽しみ方を、また見つけてしまった気がする。


本日の1曲
Just Go On / Asparagus

長きに渡ってiPod再生回数ベスト3にランクインしていた「Just Go On」。
曲中で “day by day〜” という気持ちのよいコーラスが登場します。
これぞ『デイ・バイ・デイ』の隠れテーマソング! (と勝手に認定)


【番外コラム】いつか本を作るかもしれない人に、の話。

印刷の関係上、Photobackでは大きなサイズの画像が必要になります。
文庫サイズでも見開き前面に写真を配置する場合には、
2386ピクセル×1559ピクセルの画像サイズが推奨されています。
→《BUNKOで使用する画像について》

いつか書籍化するかもしれない人は、普段からできるだけ大きいサイズで
画像を保存しておきましょう。
実は、ブログで使うことだけを考えて「程良いサイズ」で撮影していたので、
ここでちょっと苦労しました。これからは贅沢なサイズで!

森山大道写真展『銀座/DIGITAL』


森山大道はいつもコンパクトカメラで路上を撮影してきた。彼の長年のメインカメラはリコー製のコンパクトカメラ「GR」である。

彼の影響でGRを手にした人は多いと思う。敬愛する写真家と同じカメラが使えるなら、それを選ばないわけにはいかない。そんな動機でGRを購入したのは大学生の時、もう10年近く前のことになる。

そういえば、GRを購入した当初は「リコーってカメラ作ってるの?」とよく言われたものだ。リコーのイメージが「オフィス用光学機器のメーカー」から「高級コンパクトカメラのメーカー」に劇的に変わったのは、名機GRで作品を発表し続けている森山氏の影響が大きいと思う。

GRは2005年にデジタル化され、2007年には後継機のGRデジタル2が発売された。フィルム時代から比べてボディが一回り小さくなったものの、ほとんど同じ印象を与える。デジタルになっても、GRはボクトツとした外観の硬派なカメラなのである。

いつもモノクロフィルムを装填している森山氏が、今回初めてデジタルカメラ(GRデジタル2とGX200)を使った作品展を開催した。森山大道がデジタルを使う、これはファンにとっては大きなニュースである。

会場のRING CUBEはそれ自体が円形のビルディングで、ギャラリーの真ん中にある巨大な柱のような壁面に隙間なく作品が貼り付けられていた。作品を背にすれば、曲面を描くガラス窓から銀座4丁目交差点を見下ろすことができる。

銀座の街は外国のような雰囲気を持っていると思う。歴史ある建物は重厚で、質の良い洋服をまとった人が老舗デパートを行き交っている。最近では若者向けの店舗が増えたとはいえ、人々が銀座という地に抱く憧憬は根強いように思う。

毛皮をまとった女性の姿や、ショーウインドーに飾られたけばけばしい衣装の写真は銀座が歓楽街であることを思い出させる。
マネキンやポスターなどのイミテーション的モチーフや、女性の後ろ姿に注がれるファインダー越しの視線。シャッターや網タイツの模様を用いたグラフィカルな構成。それらはまさに “ダイドー的な” 写真であり、見慣れないはずのカラー写真も意外なほど違和感がなかった。

21mmの広角レンズは街の形相を俯瞰するに相応しい。標準レンズを装着した一眼レフとGRがあれば撮りたいものはたいてい撮れる。標準レンズでは入りきらない景色を撮りたければポケットからさっとGRを取り出して撮影すればよい。フレキシブルで写りも良く、ストリートスナップに適したカメラなのだ。

学生時代にはカメラを持ち歩かないと不安だった。いつどこで撮りたいものに出くわすかわからないからだ。そんな時もGRだったらさっとポケットに忍ばせることができるし、予備カメラとしてカバンに常駐させておいても良い。

展示数の少ないカラー写真の下地としてモノクロ写真の女性の顔が敷き詰められていた。存在感のあるこのマチエールがなかったらあの空間は随分淡白になっていただろうと思う。

空間を操るのは作家の意思だ。多くない作品数と特殊な会場の形態で写真の組み方が際立つ。小規模のギャラリーならではの、空間構成の妙を感じる展覧会だった。


本日の1曲
Alison / Holly Cole

森山大道写真展「銀座/DIGTAL」

http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/daido_vol2.html
【 展覧会情報 】
■ 会 期:2009年1月7日(水)~2月1日(日) 11:00~20:00
■ 休館日:火曜日
■ 会 場:RING CUBE
      東京都中央区銀座5-7-2 三愛ドリームセンター8.9F
■ 料 金:無料

森山大道展 レトロスペクティヴ 1965-2005/ハワイ @東京都写真美術館




週末の会場は若者で溢れていた。今年70歳になる写真家の展覧会にしては客層が若い。やはり自分のように、ダイドーに写真への目覚めを奪われた人たちなのかと勘ぐってしまう。
初めて森山大道の作品に触れたのは10年以上前。当時は美術予備校で浪人していて、作品の資料にと読んでいた雑誌で写真集『Daido-hysteric』の存在を知った。

あのヒステリックグラマーが写真集を出版したというニュースに加えて、これまでの「モノクロ写真は繊細でトーンが淡い」という思い込みの、まさに真逆をいく衝撃の写真が飛び込んできた。
艶めいた街は匂い立つ色気を感じさせたし、ハイコントラストの黒々と焼かれた写真はグラフィカルな印象を与えもした。しばしその頁に釘付けになった。

大学に入ると、時々暗室に入るようになった。現像液の温度を上げ、長めに露光してダイドーもどきの写真を焼いた。要するにどっぷりとカブれてしまったのだが、仕上がりを自分の勘に頼る現像作業は最高にエキサイティングだった。(そのせいで写真の授業が退屈で仕方なかったのだけれど)

その出会いから10年以上、森山大道はずっと特別な作家であり続けている。



今回の展示はレトロスペクティヴ1965-2005(3F展示室)と最新作『ハワイ』(2F展示室)の二部構成になっている。まずはエレベーターで3Fに上がった。

アシスタントから独立後、写真雑誌への初掲載となった《ヨコスカ》(1965)から『ブエノスアイレス』(2005)までが年代順に並ぶ様は壮観である。
入場してすぐの壁には、いきなりホルマリン漬けの胎児を撮影した《無言劇》と、寺山修司と共に旅芸人を撮影したシリーズ《にっぽん劇場》が展示されていた。年代順に並んでいるので当然なのだが、入館して早々の出迎えに一層期待が高まる。

壁に展示されたプリントはもとより、ガラスのケースに納められた雑誌や写真集を凝視せずにいられない。

ポスターやテレビ画面を撮影し、自分名義の作品としたことで物議を醸し出した連載《アクシデント》(69年・アサヒカメラ)や、盟友・中平宅馬氏も参加した同人誌『プロヴォーグ』(68-72年)、対象を写さない手法を用いた挑発的な『写真よさようなら』(72年)などは、刊行当時を知らない若い大道ファンなら思わず息を飲む伝説の品々だろう。

艶めかしいタンゴのリズムと石畳の路上。レトロスペクティヴ最後の壁面を飾った『ブエノスアイレス』は森山氏らしい色気に満ちていた。ブエノスアイレスに抱くイメージと森山氏の持つ世界観は密に通じ合っている。カメラだけを持ち異国を訪ねることはなんて素晴らしいんだろう。



森山氏が次の撮影地にハワイを選んだということを聞いたとき、子供の頃に抱いたハワイへの憧れが懐かしく思い出された。ひと昔前までは、海外旅行といえばハワイだった。その憧憬は、端がめくれて色褪せたポスターのように懐かしい。

そして今回、森山氏による『ハワイ』の大型プリントを初めて見、撮影地としてのハワイという選択が大当たりだったことを確信した。陽光にぎらつくオートバイや、乾いたアスファルトの路上など、まさに大道的なモチーフが並ぶ。それは自分が突き動かされるものに忠実に、心引かれる景色に向かってただ歩く、という氏の確固たるスタンスを感じさせた。

ぼくはね、昔からあまり仕事というか、注文がないんだよ。たまには雑誌の仕事がなくもないけれど、あまりないんだ。(中略)
それで何をやっているかというと、コンパクトカメラをいつもジーパンのお尻のポケットに入れて街をうろつき歩く。それがぼくの写真生活のパターンなんだよ。パターンというか、ぼくが写真に関わるほぼ全部なんだよ。

ー対話集『 昼の学校 夜の学校 』より

撮影された場所は、単なるキャプションでしかない。ハワイ・ブエノスアイレス・新宿・大阪。素っ気ないほどの写真集のタイトルが、彼の写真との関わりかたを代弁しているような気がする。

だから今回も、森山大道はただハワイに降り立っただけなのだ。そしてハワイという楽園はその楽園たる所以( __ 熱帯植物の艶めかしい姿や、日焼けした人々が押し寄せるビーチ)を含みながら、そこに在っただけなのだ。

ハワイの作品群を観終えたとき、森山氏がハワイを選んだことが奇跡のように思えてならなかった。本人の言葉を借りれば、森山大道は「モノクロームのハワイを作った」のだった。


本日の1曲
The Greatest / Cat Power


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【 展覧会情報 】
■ 会 期:2008年5月13日(火)→6月29日(日)
■ 休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
■ 会 場:東京都写真美術館 2・3階展示室
■ 料 金:一般 1,100(880)円/学生 900(720)円/中高生・65歳以上 700(560)円
※( )は20名以上の団体料金
※小学生以下および障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜日は65歳以上無料


【 森山大道に関するおすすめ書籍 】

■ 昼の学校 夜の学校
写真を学ぶ学生との対話を通じて、自らの
歴史を語り、写真への思いを語る。
ひとつひとつの質問に丁寧に回答していく
氏の発言に独特の写真論、その価値観に森
山大道的なエッセンスを感じるファン必読
の書。日々の生活の様子など評論家が今更
聞けない率直な質問があって面白い。


■ 犬の記憶 終章 (河出文庫)
文庫版のあとがきを執筆したのは、ヒステ
リックグラマーの北村信彦。森山氏へのラ
ブレターともいえる素直すぎる文章が微笑
ましい。
素晴らしいエッセイを紹介したくて先日友
人氏に文庫版を贈答。所有しているのは単
行本のため、あとがきを読んでから手渡し。


【 メディア情報 】
■ 美の世界(1996年2月24日放送)
「写真家 森山大道 1996 〜路上の犬は何を見た?〜」

第2日本テレビにて放送中


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>>connection archive >>
2006/03/21 『森山大道 〜野良犬の目線〜

『無題』

ある友人宅を訪れると、彼は間近に迫った個展の開催に向けて準備を進めていた。訪問した時、彼はカタカタとMacintoshを操作し、ポートフォリオを作成している真っ最中だった。
作品の脇に置こうと思うんだけど、どう?彼は少し自信なげに尋ねてきたけれど、その案には大賛成だった。

ただ、差し出された作品から全てを感じ取るのは難しい。どんな経緯で今回の作品を製作するに至ったのか、作品の共通テーマは何か。彼の用意した資料には今に至るまでのヒストリーが記されていた。

当時通っていた美術大学の校内では頻繁に作品展が開催されていた。芸術は学生にも平等にあった。表現することに夢中な学生達は積極的に作品をアピールしていたが、タイトルが与えられていない『無題』の作品も多かった。
ギャラリーの壁にかかった途端に立派に見える抽象画のマジックも知っていたし、清潔な空間では未完のオブジェがもの言いたげな空気を瞬時に身に纏うことも知っていた。

だから『無題』には注意しなくてはならない。何かを孕んでいる印象を与えるこの上ないありきたりな言葉に注意深くなった。作品から何を感じるか。タイトルを付けなかった意図は何か。無題の作品に遭遇するたびに、勝負に挑む感覚があった。作品にタイトルを与えないことが「単なる思わせぶり」か、「最良の選択」かを確かめるために。

ただ目の前に差し出された作品だけで、芸術を理解するのはやはり難しい。そういう環境にあったお陰で、常にアートとは何かを考え続けていたように思う。
日々差し出される芸術に懐疑的になることもあった。今でも無題の作品の前では立ち止まってしまう。


本日の1曲
Untitled / Smashing Pumpkins

デジタルカメラ解禁デー

言い訳はすまい。いや、これは喜ぶべき変化なのだ。遂にデジカメ(Nikon COOLPIX S8)を購入した。2万円台前半で7.1メガピクセルが手に入る時代になったとは驚きである。
今はいい買い物をしたと悦に入っている。ふむふむ。

大学時代に友人氏がデジカメを買い、何度か借してもらったことがある。プレゼンボードに使う作品写真に、アニメーション製作の資料に・・・美術大学の課題にデジカメは大いに役立った。
それまで課題提出直前ともなると、撮影したフィルムを急いで駅前の写真屋に持ち込み、30分コンビニで立ち読みをして時間を潰していた。現像代も、時間もかかる。しかし当時は200万画素が7万円の時代、その便利さを得る金が無かった。

その後(デジカメがあったらナァー)という場面には何度も遭遇してきた。特にこのブログを始めてから頻度は高くなるばかりである。
友人は『もうそろそろ買えば?』と呆れている。『そうすればもう仕事帰りにヨドバシ付き合わなくて済むし。』
その言葉はもっともだった。そうだ、悩みすぎだ。今まで写真好きのプライドが邪魔をしていたが、悩み続けるのも疲れてきた。ここは勢いに任せて買ってしまえ!

取扱説明書には有り余る(過剰な)機能が記載され、ファインダーには小さなアイコンが所狭しと並んでいる。初めてのデジカメを触りまくる。猫氏にモデルになってもらい撮影のテスト。
間接照明だけのこの部屋も結構明るく写すことができた。少ない光源をうまく取り込み、鮮明な画像が得られることに今更ながら驚き、満足する。
Macintoshに接続したスタンドにデジカメをセッティングすればたちまち画像は転送されていく。むむ、これは使える。

仕事帰りにデジカメ片手に新宿駅南口をぶらつく。夜の新宿は夜景の宝庫であるからテスト撮影にはうってつけだった。


本日の1曲
The CameraEye / Billy Corgan

像と光の論争

『アレは光じゃないんだヨー、”光”なんだよォー!写真はさァ!』
彼の熱弁を聞きながら写真好きのうんちくに呆れていた・・・わけではない。それどころか、こちらもまた全身の毛穴が開ききるほど興奮していたのである。
『だよね!”像”なんだよォー!写真はさァ!』
議題はデジタル写真の是非だった。『デジカメってなんか買う気になれないんだよねぇ・・・』と溜息混じりに発した言葉が、互いのソウルに火をつけた。

先日臨時収入があった。この機会にデジカメを購入するのもいいかもしれないと思った。インターネットでスペックを調べ、家電量販店に通い、自室には最新モデルのパンフレットが増えていった。
『デジカメ・・・デジカメ。』と金の使い道を考えながら独り言を呟いていると、隣に居た友人氏は『でもどーせデジカメはドットなんでしょ?』と半ば呆れた口調で言った。以前彼女の前で『デジカメは所詮ドットの集積だ』とこき下ろしたことがある。彼女はそのことを言っていたのだった。

デジカメの良さは気軽さと即効性。現像するまでもなく、完成写真は簡単に確認でき、気に入らなければデータを消去すればよい。現像代もかからないし、部屋中にネガが散乱することもない。海外旅行に行くたびにフィルムを何十本と現像し分厚いアルバムを十冊以上こしらえる両親には是非デジカメをお勧めしたい。

これまで倦厭していたデジカメに食指が動いたのはこのBlogの存在だった。Blogの記事に添付する写真を撮るには最適だろう。現在は写真をスキャンしたものを使用しているけれど、外出から帰ってすぐにアップロードしたい時には向いていない。それに携帯電話のカメラでは画質に不満が残る。

文頭に登場した熱い男は、写真に興味を持ち出した友人にNikomatを買わせ、最近子供が産まれた友人にはアサヒペンタックスを贈る予定だという。勿論両方ともフィルム一眼レフ、しかもマニュアル機である。カメラ好きには有名なNikomatも大抵の人にはどこのメーカーかわからない重いカメラでしかないはずだし、子供の成長を記録するにはデジカメの方が便利に決まっている。
しかし彼は一眼レフのシャッター音にこだわり、一眼レフの硬質なボディにこだわる。
彼のした選択に笑いながらも、きっと自分も同じことをするだろうと思った。要するに我々が気が合うのだ。

敬愛する写真家は”自分が長年使ってきたフィルムや印画紙が生産停止になったらその時に(デジタルへの移行を)考える。”と言っていた。
世の中の写真家の多くは、彼のようなスタンスなのではないかと思う。デジタルを真っ向から否定するわけではないが、できるところまでフィルムでいく、ということだ。彼の残した『撮影で出会った景色に、もう一度現像で出会う』という言葉すら今後は理解されなくなってしまうのだろうか。

スナップショットと作品の境目でカメラを変えればそれで済む。暫く考えてその案に頷きかけるが、”作品”を撮影する行為はスナップ写真とどれほどの違いがあるというのだろう。そこには表現の境目など存在しないように思える。
アーダコーダと考えているうちに臨時収入は生活費に吸い込まれて、あぶくのように消えてしまった。


本日の1曲
Heartbreaker / Led Zeppelin

大竹伸朗 ー全景ー展 @ 東京都現代美術館



初めて大竹伸朗の作品を知ったのは、書店のアートブックのコーナーだった。ページを開くと色鮮やかで節操のないコラージュの数々が飛び込んできた。作品集はそれ自体がスクラップブックのようにも見えた。それからは大竹氏と言えばコラージュのイメージが定着した。

それ以降、彼の作品を目にする機会は多々あった。しかしその作品群は抽象画であったり、イラストレーションであったり、立体作品であったりした。文筆家として著作まである。それらは同じアーティストとは思えないバリエーションを持っていて(この人何者!?)と思わせるに充分だった。
現在、東京都現代美術館では大竹伸朗の【全景】展が開催されている。まだしっかりと作品に触れたことのない、何者かわからない一人のアーティストの回顧展だった。開催の知らせを聞いてからはわくわくして待っていた。生まれて初めて前売り券というものを買ってしまった程である。

会場は広い美術館の全フロアで行われていた。受付で『展示数が多いので、閉館時間にお気をつけください』と言われ、更に胸が高鳴る。目の前のエスカレーターを上り、3階へ。順路を辿り展示は地下まで続く。

まずはスクラップブックの展示から始まった。ガラスケースの周りを歩き、今や最初の出会いともいえるコラージュ作品に興奮する。
品のいいブックを想像してはいけない。本の形はしているものの、大きさも材質も実に様々。彩色が施され、いびつな形に変形している。
大竹氏は若い頃に世界中を放浪していた。外国の地のチラシや雑誌が詰め込まれたコラージュにはそこにいた確かな証があり、情報過多のブックには無国籍な空気が漂っていた。

スクラップブックの展示はまだほんの、ほんの入り口にしか過ぎなかった。幼少時代のスケッチや美術大学時代の油絵、クロッキーの紙片などはよくぞ今まで保存していたものだと驚く。

作品を描くキャンバスも、スタイルも様々。デッサン力が発揮された美しい絵画や、厚く塗った絵の具を引っ掻いてエッチングで描いた作品。大型のコラージュにはティッシュや鉛筆すら作品の一部として貼り付けられている。
大竹氏の活動は美術だけにとどまらない。ノイズバンドのミュージシャンとしても活動し、音の出るインスタレーションもいくつか展示されていた。

近年の作品まで、ほぼ毎年作品を残しているのも感嘆に値する。まさに回顧展の名にふさわしく年代を追って作品が展開されてゆく。ここまで徹底的に”回顧”している展覧会は初めてだった。
乱雑な作品やラフな画風、未完成な作品を好むのは、今まで美術を勉強してきて生まれた実感である。大竹伸朗のフリースタイルっぷりには感服してしまった。


本日の1曲
The Black Angel’s Death Song / The Velvet Underground



大竹伸朗 ー全景ー展
東京都現代美術館
東京都江東区三好4-1-1 (木場公園内)


会  期:2006年10月14日(土)〜12月24日(日)
開館時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)
休 館 日:月曜休館
会  場:東京都現代美術館 企画展示室 全フロア
観 覧 料:一般1,400円、学生1,100円、中高生・65歳以上700円、小学生以下無料

東京メトロ半蔵門線 清澄白河駅B2番出口より徒歩9分
都営地下鉄大江戸線 清澄白河駅A3番出口より徒歩13分
東京メトロ東西線  木場駅3番出口より徒歩15分
都営新宿線     菊川駅A4番出口より徒歩15分

荒木経惟 「東京人生」 @江戸東京博物館



彼の写真には物語がある。荒木経惟はフレームに物語を取り込む天才だ。作品を観る機会があったら、是非隅々まで見て欲しい。二階の窓からこちらを見ている室内犬。遺影を抱き歩道を歩く少女。駅の構内で人形を抱えて眠る中年男性。
写真は”写真”という極限に切り取られた時間の中にあって、何故これ程までに生命を湛えていられるのだろう。

大学生の頃、図書館に頼んでデビュー作『さっちん』が掲載された『太陽』を見せてもらったことがある。当時は無名の新人であった荒木の名前と、紙面を駆けずり回る子供達のモノクロ写真。
大学の写真の授業で公園で子供を撮影した時、あらためて『さっちん』という作品の魅力に気付いた気がする。子供達が他人に屈託のない表情を向けることは稀で、『さっちん』にあるような写真を撮りたいと思うなら、子供と一緒に駆けずり回らなくてはならないからだ。

言わずもがな、荒木は当時から面白いお兄さんであっただろう。あるいは荒木には努力の必要はなかったのかもしれない。彼の作品の被写体はいつも自然で、真剣な表情をしている。花ですらレンズと勝負している。荒木の生命力、存在感が被写体に乗り移ったかのように。

生命にこだわる写真家はまた死にもこだわる。荒木の父、母、そして最愛の妻、陽子氏。彼は身近な人の死の場面にもレンズを向ける。今回の展示に3人の最期のポートレイトがあったのは偶然ではないはずだ。

荒木の代表作に愛妻陽子さんとの日々を綴った写真集『センチメンタルな旅』がある。友人の家で初めて見た時、その作品に沈黙した。直ぐさま写真集を手に入れ、再度ゆっくりとページをめくった。

そこには止まる事なく流れ続ける時間があった。流れていく時を惜しむことすら忘れたかのような日常の風景があった。妻が病に侵されてからの荒木邸は、ぼんやりと淀んでいるかのように虚ろだった。
裏表紙を閉じた時、一本の映画を見終わったような気持ちがした。本を閉じた後はいつも、仰向けにひっくり返って深い息を吐く。そういう作品である。

荒木は死を知っているからこそ生にこだわる。彼が押すシャッターは人生をなぞり、切り取られた風景は永遠に我々の前に在る。
世界は変わり続け、自分もいつかは息絶える。レンズははかなく過ぎ去る全てのものに向けられる。荒木の写真は終わりに向けられているからこそ、輝いている。


本日の1曲
明日へゆけ / ハナレグミ



荒木経惟 ー東京人生ー展
江戸東京博物館
東京都墨田区横網1-4-1
JR総武線両国駅西口徒歩3分
都営大江戸線両国駅A4出口徒歩1分


○ 文中に登場した写真集

さっちん
寂しかないよ、友達いっぱいいるもん!
弟・マー坊を従え、団地狭しと駆け回るさっちん。
昭和30年代の子ども達の、溢れるような笑顔を活写する第一回太陽賞受賞作。


センチメンタルな旅・冬の旅
これは愛の讃歌であり、愛の鎮魂歌である。
新婚旅行での”愛”の記録、私家版「センチメンタルな旅」から21枚。
妻の死の軌跡を凝視する私小説的写真日記「冬の旅」91枚。
既成の写真世界を超えて語りかける生と死のドラマ。

荒木経惟 オフィシャルサイトへ

ある訪問者の幸福なレスポンス

美術大学に通っていた頃は、大学名を聞かれるのに少々うんざりしていた。確かに美大に進学する割合は少ないだろうし、特殊な大学と言えなくもない。
しかし咄嗟に発される『ゲージュツは難しくて、何がいいのかわからない』という言葉は美術大学生をがっかりさせた。それが単なる無関心の賜物にしか思えなかったからだ。

ストーリーを組み立てて、芸術作品に自分なりの価値を見出だせる人は驚くほど少ないのかもしれない。
もっとも世界的な画家の作品ともなれば、カンバスの油絵の具の”塊”や、表面の”ひび割れ”を見て、故人の遺した作品の運命を目の当たりにすることが出来る。

芸術においては、世界的に有名な作品を集めた展示よりも、大学内の展示のほうが面白い、という現象が起こりうる。それがどこに在って、誰が製作したものであっても自分の悩みや、現在の関心ごとと合致すれば忘れられない作品になるだろう。鮮やかな色彩の絵画が貴方に途方もない悲しみを想起させるなら、それは悲しみの絵画なのだ、というように。

先入観に縛られ、他人に左右されてばかりいる人は作品と対話しようともしない。それではいつまでたっても芸術は難しい芸術のままだ。

学生の頃、一度だけ写真展に参加した。傍らに置いたノートには様々な感想が書き込まれた。
教室を訪れた見ず知らずの訪問者は、展示作品の中から気に入った作品を数点あげ、作者である自分の意図とは見事に掛け離れた解釈を書き連ねていた。
初めて人前に作品を展示した経験で、当初はそのコメントに戸惑い、不快感を感じさえした。
何故そんなことを思うのだろう?全然違うじゃないか。

しかし後になって、その時実際にペンをとった他人の存在を幸福に感じるようになった。もしかしてこれが表現の面白さなのではないかという感情がじわじわと胸に湧いてきた。

訪問者達が作ったストーリーは作者の意図と必ずしも一致しない。しかし、多くの芸術家は画一的な解釈など望んでいないだろう。
芸術は好みや解釈を強要するものではない。見ず知らずの訪問者のコメントは今でも深く印象に残っている。それは表現の難しさと、なによりもその喜びを実感したささやかなエピソードだった。


本日の1曲
Million Dollar Question / Radiohead