拝啓、親愛なるアーティスト様

敬愛するアーティストの新作を手にしたときの高揚感は何にも代え難い。そこには彼等の現在が詰まっている。伝えたいことは全てその楽曲に込められているはずだ。だからこそ作品を手にとって実際に聴くまでの間こんなにも胸騒ぎがする。目をつぶって彼等が見せてくれる世界を想像する。君の世界はどう変わったか?その世界にはまだ共感の余地はあるか?と。

CDのビニールを開封する行為は日々世界的に行われている最も身近なイベントのひとつだ。君が作品に込めた想いは皆に伝わるだろうか?響くだろうか?
そして手元に届いたばかりのCDを見つめ、ゆっくりと再生ボタンを押す。

音楽が生活の隙間を満たす。その日常の風景はリスナーの数だけある。我々が楽曲からイメージする風景のほとんどはアーティストすら知ることが出来ない。自分の鳴らした音楽が誰かの日常に溶け込んでゆく。孤独な夜の喧噪や、幸せの日だまりをなぞってゆく。聴いてくれる何人かの大切な1曲になることができたらと願う。彼等の作品からはそんな切ない希望を感じることができる。

彼等は自分自身を発信することに恐れを感じるだろうか?作品は意のままに伝わらないかもしれないし、その表現が誤解を招くかもしれない。認めない人は去っていくだろう。

しかしその作品を作り終えた時、彼等にはきっともう次の世界が見えている。発信し続けることは希望である。求める理想に程遠くても、それでも必死に手を伸ばす。無力感と僅かな希望を彼等は歌う。新たな世界の輪郭は無限の要求を迫るだろうが、走り続けている限り求め続けることができる。そうして導いてくれた新しい世界はきっと新たな出会いを生む。

生まれてから死ぬまでに自分の存在すら知らない人の数は圧倒的だ。だからこそ彼等は音楽を鳴らす。ちっぽけな自分がここにいることをわかってもらえるように。


本日の1曲
Farewell Dear Deadman / ストレイテナー


続けて読みたいエントリーたち

0 Responses to “拝啓、親愛なるアーティスト様”


  1. No Comments

Leave a Reply